銀塩大好き(写真屋の銀塩写真通信)

白州次郎さんを知っててもハンス・ハンターをご存知ですか?

2008.10.13

その古い写真は地井武男さん似にマスタッシュをつけた風貌である。イギリス人実業家の父と和歌山出身の日本人の母との次男として明治17年に神戸生まれ、日本名、範多範三郎という名前です。HANZABUROU HUNTERで略してハンス・ハンターという人です。小平市と小金井市の境にある小金井カントリー倶楽部をつくったひとりでもあるそうです。時代は軍国主義に傾いて、世界大戦がはじまる事を確信し、昭和12年小金井カントリー倶楽部の隣に1万6000坪を農園にしました。当時では珍しいセロリ、キュウリ、トマトなどの水耕栽培をしていたり、実験農場の様なおもむきでもあった様です。2つの温室が写った白黒写真が残っています。駐英国大使の任を解かれた浪人中の吉田茂も立ち寄りお気に入りのシェリー酒でH・ハンターとグラスを傾けたそうです。

昭和20年4月19日の米軍P-51 の空爆で綺麗なハンター農園の母屋が全焼してしまった。『東京空襲を記録する会』の調査では消失家屋は約27万戸、罹災者は100万人に達し、死者は10万人にのぼった。

H・ハンターが戦前から最も危惧していたことが現実になってしまった。全く何も持ち出せない状態で、H・ハンターの夢と資産を次ぎ込んだ調度や書画 骨董もことごとく灰になってしまった。

それらの中には国宝級の美術品も含まれていたそうである。 彼が長年かけて収集した貴重な蝶の標本は、 数日後に東大農学部に寄贈する手はずになっていたが、残念なことに、それもかなわなかったそうです。戦争に翻弄された人生の終末を迎えた実業家です。詳しくは20年間継続取材をしている人がいます。

朝日新聞系のフリーペーパーで元アサヒタウンズの記者で中込敦子さんのホームページを紹介します。

http://www.h4.dion.ne.jp/~mogura1/hantanouen/hantanouen1.htm

アサヒタウンズの記事でも、良い記事は山田記者、中込記者の記事をを目にしてきました。その人が作るサイトは良く整理されていて、写真も多く読み応えがあり、今後は上梓されるんだろうと思いますがペーパーレスでECOでこれだけボリュームのある取材を無料で読める事は嬉しい事です。小平市には凄い人がいるんだなとあらためて思います。中込敦子さんを紹介しているミニコミ誌に松永和子さんが編集している『ほのぼのマイタウン』があります。追々紹介しようとおもっています。

今日撮影したご家族が米国人のご主人で日本人の奥さん、アンガスくんという1才の男の子と言う家族でした。デザイン系の仕事をしていたそのご主人とPCの話しになりphoshopはもう使っていない。リナックスにしてフリーソフトのGIMPを今は使っていると紹介してくれました。米国人は写真を大切にします。ハンターさんも写真が好きだったんだろうなと想像が膨らみます。

そんな紹介繋がりで、ハンターさんから色々な人に紹介がつづいたということです。

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