銀塩大好き(写真屋の銀塩写真通信)

今年を振り返りつつ 思う事

2011.12.31

大晦日が近づきますと、一年を、振り返ります。ご多分に漏れず、簡単にまとめますと

3月はフィルム現像機の入れ替えを予定しておりました。従来機との違いはQSF430L3は、チェーン駆動でフィルムを切断するカッターが、上から下に切断しておりましたが、下から上に変わっています。また処理本数が、少ないタイプの機械に変わりました。

忘れもしない、3月11日は、フィルム現像機をQSF430L3からQSF V-30に入れ替え設置している最中に地震が起きました。

その後、輪番停電が原因で、以前のプロセッサーである一九さんが壊れ、N&Fの技術者に大修理をしてもらいました。今思い返しますとブレーカーを切っておけばと悔やまれます。これもある意味、震災なのかも? 

その後も輪番停電が続く事を危惧し、二三型への移行を検討。

一九さんが貴重な産業機械ではないかという事で、関東地方の写真関連博物館。写真専門学校、日芸以外の芸術系大学へのアプローチをさせて頂きましたが、残念ながら、引き取り先が現れず、無念にも処分させて頂きました。

6月にはQSS2301型への切り替えをしました。導入後に、残しておいた19型と23型の共通部品が、メーカーで処分され、在庫無しで、特にブローニー関連は、大打撃になりました。ブローニーから手札・Lサイズが、今の所、焼けない状態です。

日々、23型のパーツ収集。機能の把握とお勉強でした。現在も続いています。

8月は、青森から、福島まで被災地にいってきました。この眼で見てきました。元気づけるある企画が少しづつ進行しています。

EUと連動するように景気とともに、銀塩写真が減り続けております。

12月に入り、レーザーのプリンターLP8800CPSが壊れ、LPs8100psに変えました。

このように1年を振りかえりますと、お金が出るばかりでお金に縁がなかった年だったなあと言う感想です。

さて、冷徹に銀塩写真にかかわる環境を見てゆきますと、10年前、5年前と比較してみても、印画紙も、フィルムも値上がりしております。厳しい環境になっております。

例えば、権力(大企業の広告、マスコミ、行政、etc)にデジタルという表現で銀塩写真が蹂躙され続けたわけで、171年の歴史を見ても、文化的にもきっちり定義されず、自虐的に言うと、ただ古い、etcと浴びせられ、追いやられ続けた世紀だと感じております。

権力に主寝ず、視点を変えれば、人間の視力でほぼ300dpiで写真を鑑賞し、定義づけている。基準をフィルムの立場で見直したならば、見方が違ってくる訳です。

21世紀から11年が経過し、5年、10年のスパンで物を見たならば、この21世紀は今の所、変化と進化の世紀なのだという印象です。

ここまでフィルムが落ち込みますと、昨年も書きました温故知新で、171年の写真と銀塩の歴史から、学びとる事とイノベーションであたらしい機軸を提案してしかなければいけない状況にあるのだとおもいます。

文字にしますときつくなりますが、極論しますと、311の東北大震災のありさまを見ましても、弱者は見捨てられ、権力をもつ者が、頼れず、人の繋がりが、支えになり、可能な限り、気持ちを311の元に戻すように、元気なって頂きたい。

復旧、復興、そして再起はスピード感が、大切で、一人一人が自分の頭で考え 声をあげてゆくしかない。

来年も、本物、銀塩写真を追求したいと考えております。

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