銀塩大好き(写真屋の銀塩写真通信)

デジタル画像の行く末 その2

2012.3.8

韓国の女性アイドルグループのデジカメ画像とファンが撮影した画像の違いが、痛いというものだ。

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右の画像は、不自然な長体をかけたのだろう。超人的な長体と顔も同じ日に撮影されたものと比較してもやり過ぎ感が出てきています。

イギリスでは、公的機関が法規制しているという事をこのBLOGで扱いました。

デジタル画像は、やり過ぎといわれているプリクラでの劇的変化はともかく、市内の大学に入っている就活写真撮影専門の業者に撮ってもらったらプリクラみたいで、『自分らしくないので』といって就活写真の再撮影に来られたお客様がいらした事もあります。修整されすぎたのだと言う。

面接で、写真と本人が別人に見られては、かえって良くない印象になるわけで、逆効果なのだ。

しかし、肌の調子とか、デジタルのダイナミックレンジになじみやすくする加工は、これからも避けられないだろう。

一昨日きたTOPメーカーの営業が持ってきたパンフにも証明ソフトにその機能が入っています。デジタルのソフトの敷居が低くなったため、ほどほどのところは、人が作るわけで避けようがないのだ。

一線を超える話が『映像エンジン』世界には有るというのだ。

再びの引用ですが、IT Media の矢野渉さんの記事の抜粋から、驚く話がかかれていた。

 ここ数年、デジカメに使われる映像エンジンの進歩には目覚しいものがある。1秒間に30コマの写真を撮影しても余裕で処理できるし、カメラ内でデータにさまざなエフェクトをかけることさえ可能になった。

 こうなるとレンズを作るときの基本である球面収差、ディストーション(歪曲収差)、周辺光量の低下などをなくそうとする方向性の設計は、全く意味を成さなくなってしまうのだ。高性能の高価なレンズを作るよりも、ほどほどのレンズで安くあげ、収差などはカメラ内の映像エンジンに補正させたほうが現実的だろう。

 「まあ、何かしら光がCMOSに届いてくれればいいんですよ。あとは映像エンジンが描いてくれますから」

 返す言葉がなかった。

カメラ内での様々なエフェクトが可能になり、映像エンジンが描く世界。まさに仮想世界ではないのだろうか?

デジタルに依存した撮影は、早晩CGとの境界線がなくなり、同義語のような世界感になるようになるのではないかと心配してしまう。

今回の『忘れまじ東北・気仙沼階上』では未だに、ご両親が行方不明のまま、自宅のあった場所で、家族で法要にこられ、祈っておられました。

その後、集落が一望できる高台でかえらぬご両親を探すように、遠くを見ていた家族の姿を忘れられない。

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