銀塩大好き(写真屋の銀塩写真通信)

311で思う事

2012.3.20

311を思うとき有史以来、日本は何度も天変地異で被害に遭い、そして再生した国なんだと改めて思います。

3月10日は、1年前にも丁度、東京大空襲で2時間で、非戦闘員10万人が殺害

された日だ と記憶してしています。

あまり、この報道は多くないと思う、以前から、作家の早乙女勝元さんが、映画や、

資料館を作ろうとしていた頃を知っていました。

映画では、スポンサー探しのお手伝いをさせて頂きました。

私が子供の頃、父から戦争体験の話を聞かされました。父は通信関連の任務でケーブルを積んだ

トラックで北海道浦河を走行中に、2機のグラマンの機銃掃射(20mm機関砲)をうけ、蛇行して走り、

短いトンネルに逃げ込み、トンネルの中央付近で停止したそうです。

それに執拗に、超低空飛行でトンネルの両方の口から、機関砲を何十発も打ち込まれ、

生きた心地がしなかったと、聞かされました。

今も昔も米兵はゲーム感覚のように、戦闘しているんですね。戦争は人間の狂気の所作です。

イラク戦争でYou Tubeにのった画像がウィキリークスで波紋を広げたと言われています。

1945年7月10日 B-29の空爆は仙台では死者 非戦闘員828人を出しています。負傷385人。焼失家屋23,956戸

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同年7月15日は 故郷の 室蘭艦砲射撃で死者485人(うち市民439人)が亡くなっています。

310はそんな事を思いつつ翌日を迎えました。

朝早くから、フィルム現像機の設置がありました。

311の当日QSF V-30型のフィルム現像機の設置をしている真最中でした。14:46分は薬液も入れ終わり

7つのラックハンガーもセットした直後でした。このBLOGでも当日のことは触れています。

早いものであれから1年、現像機で諸々手こずり、ずっと忙しかった日々の連続でした。

311の東日本大震災はおよそ500kmに津波の影響を及ぼしていると言われています。

実際、青森の六カ所村から、福島原発の20Km圏内の直前まで道は繋がっており、その検問で追い返されます。

深い緑の森とリアス式海岸の連続とそれを過ぎますと、広い海岸線、そこの全てが津波被害に遭いました。

さて、日本列島が地震の活動期に入ってしまった訳で、今後、いつ何処で大きな地震が

おこる可能性があると考えた方がいいと考えるべきです。

室町時代の明応津波で鎌倉の長谷大仏が露座になったと言われています。

それまでは、奈良の東大寺盧舎那仏のように大仏殿があったと言われています。

日本書紀にも津波の事であろう事が書かれ、何度も何度も地震が突然起きているわけです。

そのやるべき検証の最優先課題は、何でしょう

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福島と女川のそれぞれの原発の比較と早急な検証だと思います。

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会社も東電と東北電力で違います。 東北電力の原町火力発電所は大きな被害を受けて

現在も止まっています。

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今回のような大きな津波を想定している立地ではない事が分かります。

今回の『忘れまじ東北』は20Km圏内は道が遮断され、全国から各県警の応援部隊が

警備しています。警官全員が、マスクをしています。

『忘れまじ・福島』とします。

福島の20Km圏外の人が住まなくなった民家です。

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311の何年も前に、六カ所村から放出されるたった1日の放射性物質は、日本国内の54基

の原発全てをまとめた量よりも多いという事で驚かされました。

下北は飴と鞭で風力発電と原発の核のゴミである六カ所村の再処理工場が隣り合わせで

立地しています。

『忘れまじ・下北』

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