銀塩大好き(写真屋の銀塩写真通信)

まだまだ続くのか偽装表現は、、、

2013.12.11

先日の事ですが、5歳と3歳の兄弟と親御さんが、3人でお見えになりました。中野の中古カメラ店で、2日通ってフィルムカメラを購入したようです。店員さんにはデジカメを勧められましたが、頑として、考えを変えず2日目に、同じお店に行ったそうです。

デジタルプリントは、馴染めないという事で、Nikon F80 50mmf1.8レンズ一本から始めたようです。その時に店員さんには、アナログプリントのお店をを探して持っていかないと、スキャナーでデジタル化されるので、気を付けてと店員さんに言われたようです。七五三の本番は神社で済ませ、f1.8の開放で鳥居の神社正面で撮影したようです。おばあちゃんも一緒に家族写真も撮影したようです。

その後、プリントをするため駅前の写真店にアナログプリントですか?と質問した所、勿論銀塩プリントです。ですから、55分でプリントが上がるのです。と言われたそうです。本当に銀塩写真ですかと食い下がって聞いても、銀塩プリンです。と言い張ったといいます。フィルムなので銀塩写真ではないと困るのですが、と願っても専門店が、デジタルプリントを、薬液処理をしているから銀塩写真と言い切る。というのは、専門店という立場でいかがなものでしょうか。

そのお客様は当店にもご来店の前にオタクはフィルムからの銀塩写真ですか?と確認してから2路線を乗り継いで来て頂きました。

一眼レフの使い方も不慣れで神社前の大事な兄弟の2ショット写真も,開放で撮って、心配なご様子でした。そこでトリミングをして6切りワイドでプリントをして差し上げました。この写真が出来れば今回の努力は、報われました。スタジオで5万円の費用を掛けるよりも、フィルムカメラを買って自分のイメージでこの一枚を子供たちの記録として残せた事が嬉しいと感慨深げでした。

今後も、このカメラで銀塩写真で残せるんですよ。ママ友には、なんでデジタルではいけないの?と言われデジタルだと眼にきつい、この派手な色は、私、苦手なのと答えているそうです。こちらのお客様は、肉眼に近く粒子なのに柔らかな色調の銀塩写真が本当に好きなんだなと、相槌を打ってしまいます。そしてカメラと一緒に、インクジェットプリント・デジタルプリントを持ってこられそれを見せて頂きました。その後お店で、ご主人と合流されて家族4人でお帰りになりました。

最近写真専門誌に何度も登場しました大阪のWカメラさんのご主人が体調を崩し、先月一杯でお店をおやめになりました。都内の有名店のN会も年内で銀塩写真の撤退を表明されております。銀塩写真は一朝一夕に出来るものではなく非常に専門性のある仕事です。同じ業界と致しまして、誠に残念でなりません。皆で銀塩写真をやっているという同胞の意識がありました。全国に散らばっていて、粒子のような点で支えあっているんだなという意識でした。銀塩写真は、まじめに取り組むと幾らでも時間がかけられる仕事です。それが難点でもあります。絶滅危惧種のような銀塩写真は、継続したいフィルムユーザーで形は分かりませんが、財団のような形で、裾野を広でて安定化策を講じなければ、限界点に来ているのでしょう。残念な事ですが、、、有名人がファンディングでやっていただけませんでしょうかね?

写真のコンテストの主催者側が、ポジからのデジタルスキャンの応募を断る方向を打ち出している事も気になります。中判の写真愛好団体もさぞお困りでしょう。私からの一つの提案ですが、ネガ撮りしてA4や6PW位に銀塩写真プリントして、平面スキャナーでデジタルスキャンをして大伸ばしにする。A0 B0のポスターサイズにしてもいい感じでプリントが出来ます。実はプロがやっています。

12/3の朝刊には、食品だけではなく偽装して販売した場合、政府・与党は罰則を検討していると言うのがNewsになっています。増々窮屈な社会になりそうです。

私はこの仕事で銀塩写真の173年の歴史は、重いものと感じております。お客様の持ってこられる写真は、家族にとって大変に貴重なものです。ある時は、150年くらい前のお殿様の末裔の方の硝子乾板であったり、古い家族写真であったりします。そこには歴史に翻弄された人々の一瞬が切りとられています。更に古くは英国の移民が新天地の米国を目指しに船で渡る時に、なけなしの大金を写真撮影代金に費やしたという話しは、比較的有名な話しです。処刑した人の記録写真だったり、戦国時代の首実検のように写真で残したようです。Web検索しますと、日本では幕末の志士の写真がたくさん出てきます。

ここに、一枚の戦時中の写真があります。以前廃業した写真屋さんに複写してもらったものと、こちらで、作業をさせてもらったものが、あまりに出来映えが違い良かったので、生き残った兄弟から追加の焼き増しの依頼ありました。定着不足で残留ハイポの影響ででセピアになってしまったんですね。デジタル修復しました。

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戦時中は産めよ増やせよ、で兵士の予備軍の為に5人以上の子供を作ると、政府からお金が支給されたといいます。そのお金で長野県の山村まで街から写真屋を呼んで撮影した一枚なのだそうです。中央の背広の方は名古屋のテーラーにお勤めをしていたので、背広を着ています。その後出征し、南方で亡くなられたそうです。また右側の着物を着た方は、その後亀有の軍需工場で、被弾し、亡くなられたそうです。この一枚の銀塩写真には、人知れぬ物語があり、日本の68年の戦後史を語っています。

話しは変わりますが、先日12/6に国会を通過した秘密保護法は米国からの外圧と言われていますが、現実はどさくさにまぎれ、戦前のいつか来た道に戻っているようです。戦前は情報統制され、負け続けている戦争を勝っていると思い込まされ、大多数の人々が不幸のどん底に落されました。日本の一家族の銀塩写真に実は様々なものが写っています。

米国と共同で最先端技術で大ピラに兵器を造る国にすること。そして、敗戦国が戦勝国の言いなりになり戦争をする国に仕立てようとしています。共謀罪の創設を検討していると、今日のNewsになっています。

そして、元首相が核のゴミ処理が出来ていないのだから、原発を止めようという、提案を無視するように原発を続けると表明しました。先日311から、1,000日が過ぎ17万人以上の人が今でも、避難生活を続けています。この現実をどう見たら良いのでしょうか。

今日のBLOGはごった煮になりました。

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