銀塩大好き(写真屋の銀塩写真通信)

これは、こじつけであり、プリント自体がネガの複製物でありますが、アナログプリントとデジタルのプリントの違いを『オーラ』という言葉に置き換えてみた。

2014.8.23

自身では、写真は芸術かと聞かれると、ノーと答えている。これから言う展開は、ヴェルター・ベンヤミンのいう『アウラ』という考え方を銀塩写真とネガフィルムからの仮想データのデジタルプリントの違いを『アウラ』があるかないかと言う論理に置き換えて考えると分りやすいのではないか?

というもので、そう見ると見やすいと考えています。

Hatena Keywordが分りやすくまとめてあるのでご覧下さい。

原義は「物体から発する微妙な雰囲気」。オーラともとは同じ言葉。光暈。

『複製技術時代の芸術作品』において、『アウラ』を複製芸術ではないオリジナルな作品がもつ『崇高な』『一回きりの』あるいは『不気味なもの』と捉えた。『アウラ』は芸術家が作品を創作/表現した時にしか存在し得ないもの、つまり<神/自然から>一回真似したものにしか宿らないものであり、複製技術による生産物は、『アウラ』の宿った作品を二次的、三次的に真似している為に、『アウラ』がもう宿る事がない。こうした『アウル』の喪失という観点から、ヴェルター・ベンヤミンは現代の芸術一般を俯瞰した。

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(彼自身による定義によれば、『アウラ』とは『どんなに近距離にあっても近づくことのできないユニークな現象』である)

勿論ヴェルター・ベンヤミンは『アウラ』というものが形而上学的な意味で客観的に『ある』といっているのではなく、複製ではない芸術においてひとが芸術に『アウラ』を見いだす、そういう文化的、社会的現象として語っているのである。

アウラ( Aura 独語 )

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A2%A5%A6%A5%E9

1997年頃の状況から、Asサイトの様々な解説を書き、更新していたり、さぼっていたりしています。圧倒的大多数のデジタル側からの銀塩写真を画素や、短所をあげつらうものがあふれだし、簡単に上手く説明出来ない銀塩写真のデジタルプリントの違いを説明する時、銀塩写真にはネガに光を当ててレンズを通して印画紙に焼き付ける今となっては古典的システムです。その銀塩写真には『オーラ』がある。

対するデジタルプリントではネガで撮っても、デジタルプリントだと、途中にフィルムをスキャナーでスキャニングして、一定のdpiのデジタルデータをファームで調整して、レーザーや、MLVA etcで印画紙に露光すると、デジタルプリントには銀塩写真にあるやわらかな『オーラ』ない。

『オーラ』がでているものと『オーラ』出ていないという説明はどうだろうという投げかけです。

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