銀塩大好き(写真屋の銀塩写真通信)

現在残っている遮光紙とスプールを利用するフィルムを戦後70年という節目で撮ってみました。

2015.3.4

中判フィルムを大きいとすると、真中が127サイズ一番小さいのがミジェットフィルムです。今回撮影しているのは、70年前のカメラなので、手元にあるカメラは、おせいじにもいいカメラと言えるものではありません。

レンズは開放で露出計を持ってシーンに合わせて夜間撮影もしています。店を閉めてから14mm×14mmのネガマスクを作り銀塩写真を焼けるように改造しました。

残念ながら、修理をまともにやってくれる所もありません。しかし70年前の当時の日本のカメラメーカーの技術の凄さは、現在のレンズもコーティングしていないので、プリント時に補正して焼いています。もう少し壊れていないカメラが手に入れば、もっとましな写真が撮れますが、、、

デジタルカメラの技術と比較しても驚くべきものがあります。カメラにもよりますが5.5cm位の横幅にフィルムを入れ10枚撮れるフィルムが入って、数百円で売っていて、進駐軍の為の日本土産で外貨を稼ぎ出し今で言う輸出産品だったのです。

レンズも小さいし、絞りも10数ミリの中に完結するような作業です。レンズを磨くのも想像を絶する困難だと思います。ケータイクラスのレンズは今のデジカメレンズは空中に浮かせて加工したり、それも凄いのですが、戦争に破れ何にもなかった頃にこんなに撮れるカメラを作った小西六と言うメーカーの技術の高さには驚かされます。絞りもシャッターも装備されています。それが当時の価格で1,950円だったようです。アナログのレンズ焼きで焼いていますので、フィルムのもつ銀塩写真の質感が妙に出ていて、14mm画角のフィルムだとは信じがたいとも言われました。そこがネガをスキャンするデジタルの銀写真とは質感が別物のようです。

あの新宿の高層ビルの一角、淀橋浄水場跡に今でも日本のフィルムメーカーの発祥の地という石碑があります。話は前後しますが生前の杉浦日向子さんと、撮影をする時の立ち話程度のお話しをさせて頂いたことがあります、時代考証をされていたので江戸時代には煙草道具(キセル)につける根付けがブームになり旅行本、料理本などもあり、江戸時代の生活があまり知られていないイメージがあった。etcという話です。

今となれば根付けが日本から散逸して世界に認められてきている『カワイイ』の象徴的なものかもしれません。時代が変わり敗戦後 70年前の日本に文化発信としての『カワイイ』の豆カメラカルチャーがあったという事を知って頂きたいと思いました。

絞りも壊れていてインフでもピントがこないとか、壊れたカメラで何を言ってもしょうがないのですが、取りあえず、Konica Snapyの豆カメラの写りをご覧下さい

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