銀塩大好き(写真屋の銀塩写真通信)

業界団体が銀塩写真プリンターの製造を止めて15年が経ち思う事

2015.6.26

2000年でアナログの銀塩写真プリンターを製造しないと決めて15年が経ちました。フィルムの製造は続いていますが、デジ焼きのお店では、毎日のフィルム定量が維持出来ない、薬液の管理が維持出来ず、基幹ラボに依頼するためデジ焼きの仕上りが遅くなると言う話をお客様から多く聞くようになりました。

そもそも銀塩写真という名称は175年の歴史があります。ケミカルの現像で処理したフィルムに光を当て透過した光を印画紙に露光してケミカル処理して作成するものです。日光写真とか針穴写真もありますが、露光をコントロールしなければならず、大方レンズを使います。ざっくりした言い方でレンズ焼きという表記のお店もあるようです。

フィルムからのデジタルスキャンした仮想データを、レーザー光等で印画紙に露光するものは、現像後の脱銀処理で銀を2番のBFで銀を抜く工程で銀写真という呼び方を日本のフィルムメーカーはしています。

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ところがWeb上では誤ったり、意図的にデジタルと言っておきながら誤った表現をしている会社が無数にあります。ラムダetcは大型の代表的なデジタルプロセッサーです。ヤフーの知恵袋etcにもご多分に漏れず誤った銀塩写真の情報がループしています。

現在日本でミニラボで実働している銀塩写真プリンターの機種はQSS26型(最大6PWまで)QSS19型(最大4Pまで)当店のQSS23型(最大A3ワイドまで)です。また自動機ではない自家ラボでカラーやB&Wをフジ・ラッキー・LPL・HANZA・ホコマート・ダーストetcで銀塩写真をプリントしている処も現存しているでしょう

フィルムは生モノですから、製造から時間が経つと3年経過した位から徐々に劣化の方向に向かいます。そんなある意味リスキーなものです。パッケージには有効期限が印刷されています。リスクのある業態だという事です。

私は元々写真は芸術とは考えていません。写真は175年の歴史があります。9年後には日本に伝播しました。途中に紆余曲折はあったけれど写真は写真というジャンルでしかないと思います。ですから今世紀デジタルが3Dになろうが映像エンジン・アプリでプロ・アマ関係なく行くとこまで行けば良いのですが、ただ撮影者の良心の問題で何処で線引きするかと言うことなんです?

仮想データであるデジタルの危険性みたいなものに、どの段階で気づくか?という事でもある。例えば金満家が金に任せて最新型デジタルカメラで撮影し金に任せ専門家にデータを映像エンジンでいじり更にフォトショップでいじり倒し、芸術家と名乗り、広告し全国へ否世界に出て行ったとしよう。結果として名声を得たとしよう。この金満・芸術家?とデジタル系の写真家と何が違うというのかです

デジタルは使ううちに麻薬のように感覚が麻痺するものです。気づいた時には手遅れという事もあるでしょう。

gssシルバーセッションのカメラマンは、はじめからそれに気づいていて今も活動しているのだと思う。今度は違う例示をしますと、今後ドローンで撮影した画像にカメラマンが撮影した©の著作権がどうなるのだろうか?

ドローンに付けたロボットカメラマンという名前なのか、自由自在に動き回る天才?ロボットカメラマンの時代になりはしないだろうか?今後は動画においても同様の事がいえる。

凡そ30年前カイトフォトグラフィーのグループを取材した事がありました。一定の定義がありカイトを操縦する人が何処かに写り込ませた写真にする事だった。単なる空撮よりも低空で撮影が出来シャッターのタイミングをフラッシュで確認していました。現代のドローンのはしりだったと言えるかもしれない。

そこで1枚の写真を鑑賞する場合アナログなのかデジタルなのかという分別をそれを見る側がもたなければならない時代に入って15年が経過している。世間の感覚がどんどん麻痺するようになってきているのではないだろうか? 変性という言葉が適切かは不明ですが、注意深くモノを見るようにしないと、流される怖さを感じます。

他方そのもやもやした麻痺は社会情況を見ても、700万人の俗にいう団塊の世代が10年後政府の言う後期高齢者になり、労働人口からいっても日本がかつてない危機的状況に入ろうとしています。日本はODAをずっと援助してた側ですが、このままだとその頃には混沌とする事になってしまうのではないだろうか

近頃自身のアナログな感覚を放棄してしまい検索でも何でもキュレーションに頼ってしまうのではないだろうか。惰性で利便と言う名の方向に流れてしまっているのではないかと危惧する。

そこで戦後70年温故知新で70年前の戦後の日本の復興期にカメラ・写真という視点で見たらどうだったかということ考えてみると興味深い事が見えてくる

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70年前の事を調べるべく当時の写真専門誌をみると、豆カメラが米兵相手の輸出産品で外貨を稼いでいたという事が分ります。豆カメラ自体おちゃのレベルから、ミノルタの前身である千代田光学精工株式会社・甲南カメラ研究所・マミヤ・Konica etcが頑張って16mmフィルムを利用したカメラの製造をしていました。現存していないメーカーは他にも沢山あります。

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その豆カメラはおもちゃのレベルから現在のデジカメの基礎になったと思われる手のひらにすっぽり収まる5cm程度の大きさに絞りやフォーカルプレーンシャッターのついた小型カメラです。性能も様々ですが、カメラの撮影の失敗やら、粗悪なフィルムを販売していたりで清濁混淆のようです。記事では粗雑なカメラや酷いフィルムのあることも批判していたりします。また露出計がなかったり、言わば『適当露出』で結果オーライやっていたふしがあります。

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そんなアナログの時代の16mmフィルムで当時は使った事の無いカラーフィルムで撮影したらどうなるだろうという事を体験してもらいたいという思いが沸々とわき上がってきました。

B&Wだけではないその障壁を取り払いたいと思いました。通常の銀塩写真プリンターでは、8切りプリントまでの拡大は困難なサイズになりますフィルムをデジタル化しますと、更にレンズを通過させますので、もやもやしたプリントになるようです。

当時のカメラに付いているスプール+一本のスプールの計2本のスプールをお送り頂ましたら、リユースした遮光紙にISO100又はISO160のフィルム

を製作致します。

テスト撮影で、バルブでの夜間撮影・レンズ開放のマルチ発光撮影等様々な撮影を試みました。X接点・FP接点などがないためその点は不便さを感じます。

スプールの状態が様々で、適宜スプールのサイズに遮光紙を作るという作業から、始めます。非常に手間のかかる作業です.プリントに付きましてはL判~最大8切りまでプリント出来ます。70年前に先祖帰りしたい方は一度お試し下さい。Asアクティブスタジオまで16mmスプールをお送り下さいませ。

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