銀塩大好き(写真屋の銀塩写真通信)

突撃レポーターの残したもの

2010.8.24

どんな人とも親しくなれる話術を持った人です。初めてあったのが、水原弘さんの青山斎場での葬儀の有名人の撮影を依頼されて、急いでモンキーと言うバイクで機材を背負って、とんでいきました。

依頼をした担当者がどの辺りに居るかを、尋ねたのが梨本さんと言葉を交わしたのが、最初でした。1978年のことです。

今亡くなって、言葉を交わした時間の何と短かった事か、しかし、かわす内容が、いつもディープでした。ある時は、修善寺にグループで遊びに行きその中に、梨さんが一緒で、当時はポケベルだったかな、娘さんが熱を出したとかで、修善寺の宿について一服し、最終列車で戻るという事になり、修善寺の駅まで送った事とか、

友人のサプライズで、私の結婚式の二次会のサプライズゲストでした。いつも腰が低く、東京湾クルーズの納涼会をいつものグループで集まった時も、大きくて目立ちますので、同乗した人に、握手攻め 写真を沢山撮られ、個室にたどり着くのもスイマセンで行き返りもままならない人気者です。

最後にお会いしたのが、昨年10月、いつものグループの一人が社長に就任し、その記念パーティで司会をして貰いました。梨さんの写真はいつもプライベートな写真ばかりで、その昔、出演されたT●の部屋の写真を差し上げたものでしょうか。

ディープな立ち話は最近のメディアの酷さ、第3の権力としての機能を失っている事。北沢署の共有ファイルが表に出てからのマスコミの対応、芸能プロの事、機密費の流れた先の事、特にテレビの劣化が酷く、日本を憂いていました。大学の先生の視点ですし芸能レポーターと言われがちですが、ジャーナリストの視点です。

友人が送ってくれました画像にはクリーム色のネクタイ、ブルーのシャツで笑顔の梨さんの遺影と位牌と戒名も読めます。勝陽と二文字入っております。二時間前に荼毘に付された遺骨になって仕舞いました。梨本さんの写真と位牌、遺骨にここから合掌しました。

お家では、仕事の連続で家にほとんど居なかった父親像が見えてきます。

長いスパンで見ますと、人はいろいろ変わります。梨本さんを見ていますと愚直で自分の持ち場で淡々とぶれずに真面目に愚痴もこぼさず励むことなのです。

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