銀塩大好き(写真屋の銀塩写真通信)

年頭、現像液に補水にきて感じた事

2009.1.2

私は社会を敵にまわすものに興味を持つのねと言われる。時代遅れだったり、社会から見捨てられ価値のないものをわざわざ京都の山の奥まで10年以上撮影にを費やし撮りに行ったり、変な物好きね?

偏屈呼ばわりされています。過去に廃村に残った1本の木に彫られた名前の主を探しに歩き回ったり、社会の役に立たないものを撮っている。こういわれたこともあります。

社会が激動の1年として歴史にも名を残す2008年にあっても銀塩写真の事に日々を費やし、機械守をしている自分って?

2009年も世界が激動の変化をしようとしている時に何をやってんだと言う声も聞こえては来ますが、自分の持ち場で銀塩写真を焼けるまで焼くこんなところでしょう。

何故銀塩写真か?を少し考えてみますとデジタルでバーチャル的なもの(デジタル機器を使って確認するもの一般)とリアル(銀塩写真)の二つの対比でみましょう。

デジタルはデジタル機器という装置がいる、リアル(銀塩写真)はリアルに自分の眼で確認ができる。

デジタルは一般的にプリントされる時多くは派手になったりエンハンサーがかかったり細い線が太く誇張されたりするがリアルな銀塩写真は粒子に作為が無い。

デジタルはバージョンUPしたり、業界主導で1度それに手を染めるととことん業者にむしり取られる宿命にある。リアル(銀塩写真)は選んだフィルムの粒子のまま粗かったり細かかったりそれもリアル。

デジタルは偽装される危険をはらみ裁判の証拠に本当の意味でなるかは疑問の余地が残るきがする。リアルな銀塩写真はネガの堤出も同時に求めれば証拠能力はある。

デジタルは薬液を通さずとも画像の確認手段があるが、リアル(銀塩写真)は完成までに化学変化や薬液なしにはできない。

こう思い当たる事を上げてゆくとそこには薬液という液体が絡んでくる。升の中で流動し現像工程で化学変化してゆく 粒子の変化もその時で決定される深遠さを感じる。

今、小学生で、ネガフィルムを見せても何かを分からない子供がいる。親がケータイやコンデジで撮影するので何かを知らない。カメラの構造にも興味が無い、辛うじて学年が進み写ルンですで撮る課題やら付録で試す事ぐらいです。

私は小学校の4年生の時窓に毛布で部屋を暗くしてにわか暗室にして写真を父親から教わりました、昨年その父が亡くなりました。子供時代に教わった像が現れる面白さからか職業にまでしてしまった訳です。

子供から30歳代前半の世代はゲームだったりバーチャルなものに多くの時間を費やしている訳です。良い意味でも悪い意味でも多方面にその影響が出てきていると思います。できるものならば、リアルに体験しそこから感じ取り学ぶ、失敗から学習し経験をつむ事が大切だと考えます。

特に子供時代にバーチャルなものに漬けてしまう多くの時間を子守り替わりに与える事はすごくもったいないと思います。

~のようなものが世間に多くなり過ぎ違いが見分けられなくなったのか。映画、絵画、写真、しかりバーチャル的ではない対局にリアルな銀塩写真が168年以上続いている訳です。今年横浜開港150年ですし1861年に横浜市野毛に全快堂という写真館を下田の下岡蓮丈さんは開業しました。

デジタル変換しないリアルな銀塩写真をこれからも若い世代がトライしてほしいものです。直ぐに画像はでないけれどもその時間が良かったりもします。その時間を楽しむ余裕を持ってほしいものです。

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