銀塩大好き(写真屋の銀塩写真通信)

中島梓(栗本薫)さんから学んだ事

2009.6.7

書いておきたかったので、写真に直接は関係ないかも知れませんが、書き留めておきます。

先日の朝日新聞の朝刊で、SF作家の新井素子さんがその人の事を書いていました。

私の知っている同じ時代の頃の事を書かれていました。作家として生まれるべくして生まれた人と形容していますが、私も同感です。

大部屋の美粧室で2、3人の編集者を待たせて少し離れたテーブルでものすごいスピードで連載を書き上げます。書くのも早いし、また読む事も凄いスピードなのです。友人のジャーナリストも書くスピードが早いのですが、比べ物にはならない。しかも淀みなく止まらないのだ。当時はパソコンではないし、新井素子さんは洗濯機の上で小説を書いていることをエピソードとして書かれていますが、原稿用紙があれば、どこでも、書きそうです。

知人のK書店の編集者のF氏も渋谷の友人の飲み屋以外では、お会いする時は、いつも火曜日の地下の美粧室でした。

ある時小柄なその人の1室にお邪魔しました。移転前の俳優座のそばの自宅マンションです。

久しぶりに会うその人は母親になって赤ちゃんを抱いて笑顔で出迎えてくれました。身の回り事は、上品な彼女の母親がお世話をしていた様です。独身時代とスピードが落ちる事もなく、少し母親の貫禄がついていました。

彼女のポートレイトと赤ちゃんを撮り、おいとましたのですが、その間、ひっきりなしに掛かってくる電話でも全くメモを取らないのです。

電話の合間に全て記憶してしまうのと、突っ込みも入れても、言葉少なくうん大丈夫と茶目っ気たっぷり笑っておられたのが、昨日のようです。

ご自身の病魔ゆえアマゾネスにたとえ、いつ途切れるか分らない命という糸を紡いで作品にしていった姿。作品を生み出す真摯な姿勢は、亡くなるまで、変わらなかったのでしょう。

かの小田誠さんは1週間でいいから書きたい事があるので、命を延ばしてもらいたいと願ったと言う話しを記憶しています。

私は18年前この地に移転し、以前とは、写真であっても全く違った仕事の内容です。それまで沢山写真を撮りました。小学4年の時に父に暗室の面白さを教わり、その父も昨年亡くなりました。前世紀に一念発起した理由は、市井の人の写真を綺麗に焼いて今度は、はなを咲かせたい。土壌になってきれいな花を咲かせよう これが、銀塩写真をやっている理由であるし、父への恩返しなのです。休む事なくあきないをつづけていられるエネルギーの原点です。写真を焼いている事が当たり前の事で、日々その大切さをいまさらながら知らされております。

その人、中島梓(栗本薫)さんは子供のような無邪気さと感性を持ち合わせた人で、知識欲も旺盛で、NikonF3のファインダーに埃が入り、おしゃべりしながら撮っている時、まるで飛蚊症か何かのようだ!

と言ったところ、飛蚊症をその当時知らなかったようで、質問攻めにあいました。

小説を書く為に生まれてきた中島梓さんに心から、ご冥福をお祈り致します。

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